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校歌・校章

校章

校章は記(徽)章や校旗のデザインとして使われてきました。戦前は星に「中」の字を、戦後は「高」の字をあしらっています。その由来は次のように述べられています。

「……論語為政篇に『子の曰く、政を為すに徳を以つてすれば譬(たと)へば北辰の其の所に居て衆星の之に共(むか)ふが如し』とあり。北辰即ち北極星が北の此の方角に動かずに居ると他の多くの星が其の方に向つて四方より取り囲みて居る。此の北辰にちなみて星章を校旗に此の徽章を画きたり。」

校歌の歴史

作詞者の土井 晩翠と当時の北海高校教頭であった戸津 高知は共に仙台市北鍛冶町生まれの同郷でした。(晩翠1871年、戸津1872年)晩翠は1888年に第二高等中学校の補充科2年に入学し、戸津は1889年5月に北海道に来るまでの2ヶ月間、晩翠と同じ補充科に在籍していました。その関係を頼りに、校歌の作詞を依頼したと考えられます。また、1909年(明治42年)10月の時点で歌詞はできていたものと考えられます。作詞完成後間もなく本居 長世によって曲が作られました。晩翠と長世との組み合わせが稀なことから晩翠を通じて東京音楽学校に作曲が依頼され、当時若手の実力者であった長世に作曲されました。

校歌をお聞きになる前に・・
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校歌の再生方法

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譜面

北海高校 校歌

作詞 土井 晩翠
作曲 本居 長世

一.天地を包む雪の色 その寂寞の冬去りて
  緑の大野見るごとく 暗より明けし北海の
  空光明のおとずれよ

二.野は石狩の奥千里 その端ここに豊平の
  川に臨みて文教の 基づくところ一団の
  健児集まる学びの舎

三.都の花はよその春 未来の望み身を駆りて
  寸時を惜しむ蛍雪の 窓のあけ暮れ幾百の
  健児手をとり睦み合う

四.嵐に叫び雪に笑む 操さながら寒梅の
  冬を凌ぎてにおうごと 稜稜の意気さかんにて
  母校の名をば揚げんかな

五.威儀三千のいにしえの 面影兼ねて新たなる
  文華の景に照らさるる 嬉し青春生ありて
  我ぞ無窮の道を追う

作詞者
土井 晩翠 1871年(明治4年)〜1952年(昭和27年)
仙台県宮城郡仙台(現在の宮城県仙台市青葉区)生まれ。日本の詩人であり英文学者。第二高等学校(東北大学の前身校の一つ)を経て、1894年(明治27年)東京帝国大学英文科に入った。「帝国文学」を編集し、詩を発表、1898年(明治31年)にはカーライルの「英雄論」を翻訳し、出版する。翌年、第一詩集『天地有情』を刊行。二高教授として赴任後は、滝廉太郎の作曲で有名な「荒城の月」が発表され、さらに深く国民に認知された。また、日本全国の学校の校歌を作詞したことでも有名である。
1950年(昭和25年)、詩人としては初めて文化勲章を受章。文化功労者、仙台市名誉市民。
作曲者
本居 長世 1885年(明治18年)〜1945年(昭和20年)
東京府下谷区御徒町に生まれる。国学者として著名な本居宣長の6代目の子孫に当たる。
1908年(明治41年)東京音楽学校本科をピアノ科首席で卒業。日本の伝統音楽の調査員補助として母校に残る。1909年(明治42年)器楽部のピアノ授業補助、翌1910年(明治43年)にはピアノ科助教授となり、ピアニストを志すが、指の怪我で断念。その後、童謡の創作に専念し、大正期の童謡の隆盛に大きな貢献を果たした。日本童謡の先駆者でもある。邦楽調査という仕事のため、その作風には古典的な日本の要素が色濃く表されているおり、洋楽と邦楽の融合を模索した作曲家である。「赤い靴」「青い目の人形」「俵はごろごろ」「七つの子」「めえめえ児山羊」「十五夜お月さん」など有名な作品を残した。