校長講話
2020-03-21校長先生から
今日は令和元年度の修了の日です。節目と考える大切な日ですので、本来なら厳粛な気持ちでこの一年をしっかり締めくくりたいところですが、新型コロナウイルスの感染症拡大の防止と皆さんの健康を第一に考えて、このように放送による修了式となりました。皆さんには約2週間に渡り、基本、各家庭において課題に取り組んでもらうことになったため、ストレスも溜まってしまっているのかも知れません。また、学年末試験が無くなったり、ブロック大学の語学研修も中止になってしまったことは、学校としても残念でしかたがありません。生徒の皆さんにも本当に申し訳なく思っています。しかし、この間、皆さんは時間の大切さと本当の意味での自己管理の難しさ、本来の「学び」に対して様々なことがらを考えるきっかけになったのではないかと思っています。学校において最も大事なものは授業ですが、自ら学ぶ姿勢こそがその前提にあることを、改めて理解して今後に活かしてください。
さて、今日はこの一年の成績発表の日でもあるので、評価に関する話をしたいと思います。皆さんは年間で何度か模擬試験を受験していますが、受験後に返却される答案と成績表のうち、何に重点を置いて振り返りをしているでしょうか。ただ手元に戻って来た瞬間、成績表にある偏差値や校内順位、志望校の判定だけを見て一喜一憂している人が結構多くいるように感じています。本来ならば答案の内容に対して、どこがどれだけできていないのか、なぜそうなったのか、次への対策として何に意識して取り組めばよいのか、今後どうなっていけるのかなど、自分と向き合って目標や計画をじっくりと考えることが大切です。同じように今日皆さんが受け取る通知箋も五段階評価の数字だけを気にしていては、具体的な次の行動について考えることもなく、そもそも学習に対しての考え方や物事に対する姿勢など、基本的な生活習慣に対する修正案は見出せないと思っています。まして、その表面的な評価だけを過大視し過ぎると、例えば、「自分は何をやっても、どう頑張っても結果が出せない」などと考え、もはや取り組んできたものへの評価ではなく、人間としての評価へと勝手に置き換えてしまうことで劣等感という妄想を持ってしまうことさえあります。
私は、評価を正しく次に活かすには、他者からの客観的な評価を参考にしながらも自己評価をすることがとても大切だと思っています。自分と向き合うということは、頭の中で広く、深く様々なことがらを振り返ることになります。また、振り返りには、どちらかというと反省点が主になりがちですが、良いことに対しても振り返ることの意義は大きいと考えます。正直、成績が上がったことを他者から評価されると気分もいいですし、その慶びは自信となって、次につなげられるものになっていきます。こういった成功体験であっても、なぜ出来るようになったか、自身で納得しておくことが重要です。せっかくの成功体験ですが、その根拠を知らずに過ごしてしまえば、出来ていたものがまた出来なくなることも十分あり得るのだと思うからです。
私たちは一年を通じて中期的に振り返りをする機会を持っていますが、本当は普段から学習活動や部活動、すべての行いにおいて常に自己評価することが必要であり、その中で納得感を積み重ねていくことが理想です。実は、皆さんが取り組んでいるスチューデントプランナーは、その日々の自己評価を積み重ねる訓練に他なりません。納得感を重ねることは、将来、自分が自信を持って飛躍するための足場を踏み固めるようなものですので、僅かでも向上しているという実感を持ってもらいたいです。そうすることで劣等感のような不必要な感情を持たなくてもよいことになります。
禅のことばに、莫妄想(まくもうぞう)という言葉があります。「もうぞう」は「妄想」のことです。マクという字は北海高校の校歌の一番目の歌詞に「寂莫の冬去りて」とありますが、この寂莫のバクという字です。寂莫とは、ひっそりと寂しいという意味ですが、「莫」には、「何々するなかれ」という意味があるので、莫妄想は、「決して妄想することなかれ」となります。妄想とは、何かの思いに捕らわれて、それに縛られてしまうことです。妄想が入り込みやすいものは、強い憧れであったり、また先ほども触れた劣等感など多々あります。憧れることは、自分もそれに近づこうと努力できれば悪いことではありませんが、努力をせずに思いだけを膨らませることは、むしろ身動きがとれなくなります。これは皆さんが志望校を考える際、一切の努力もせずに、目標設定だけは高く持っているような場合があれば、それも同じことと考えられるでしょう。
禅の世界では、修行に努力することで莫妄想の境地に至ろうとしますが、この修行で大切にされていることは、一つ一つの取り組みが丁寧で、心を配って目の前のことを淡々とこなすことだとされています。心を配って行動することとは、決して自己中心的で我がままなものではありません。むしろ周りのことを十分に考慮して行動することです。それは端的にいうと「作法」や「型」、違う言い方をすると「フォーム」といわれるものです。実際、柔道や剣道など、道という字がつくものには、すべてにおいて他者を思いやる礼儀、感謝、自己を律する精神が強く表れています。私たちが劣等感のような自縄自縛の姿に陥らないためには、日常において規則正しい生活を送る、その型やフォームを大切にすることだろうと思います。高校生である皆さんの仕事は、主体的に学習することであり、他者の考え、多様な考えを理解して様々な環境で多くの経験を積むことです。その意識の下で、まずは自分が設定したことに責任を持ち、コツコツと習慣化させる。それが皆さんにとって莫妄想への確かな一歩となり、自己目標を実現するための必須の条件だと思います。明日から春休みですが、規則正しい生活が維持していけるよう、改めてこの一年を正しく自己評価し、不足していることに対して具体的な考えと取り組みをする、そんな春休みとしてください。